続・バツイチ母ちゃんの踏ん張り記録?

2019年8月、Yahooブログから引っ越してきました(*ᴗˬᴗ)

父が逝ってしまいました…



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ご無沙汰しております。

 

多くの方にお気遣いいただいていた父ですが、タイトルにありますように、9日の夜に亡くなりました。

 

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8日の未明に急変の連絡が入り、息子と2人で急いで駆けつけ、夕方まで病院に詰めていましたが、父は少しだけ持ち直し、面会した時には目を開けてこちらを見てくれる様子もありホッとしたのですが、午後になって再度面会した時には、呼吸が苦しくなり、呼吸を助けるために付けられたマスクを嫌がり、それを外そうとして弱々しくもがいていて、見ているだけで心が潰れそうになりました。

体力も限界に近いと思われ、この様子では今夜もたないのではないかと心配しながら、それでも帰らなければならず帰宅しました。

 

幸いその夜に急変の連絡は入らず、ずっと不安で胸がザワついていましたが、翌日の9日は娘と一緒に面会に行きました。

 

そうしたらなんと、前日の苦しそうな状況ではなくなっていて、マスクは付けているものの、呼吸は安定し、手を握って声をかけると大きく頷いてくれるではありませんか!

そんな反応は予想もしていなかったので歓喜しました。

そして、今日は必ず言おうと決めていた、これまで言えなかった感謝の気持ちや、どれだけ父を愛しているかを、言葉にして何度も伝えました。

 

娘は、父が元気な時の姿しか知らないので、小さくなって弱ってしまったベッドの上の「おじいちゃん」の姿を見て、ショックが大きく声にならない感じでしたが、涙を流しながら、それでも振り絞るように少しだけ、父に声をかけてくれました。

父は娘の言葉にも大きく頷いてくれました。

その日、目は開けてくれませんでしたが、呼吸は前日に比べかなり楽になっているように見え、回復傾向にあるんじゃないかと皆で喜び、少しホッとして帰路に着きました。

 

ところがその夜、父の容態は再び急変してしまったのです。

帰宅後うっかりマナーモードを切り忘れ、さらにうたた寝してしまい連絡に気づくのが遅れた私が、日付が替わる数分前にICUに到着した頃には、既に父は旅立ってしまった後でした。

 

それでも私が着くまでは、と医師の死亡宣告を待ってもらっていて、呼吸を助けるマスクも付けられたまま作動していて、父の身体も温かかったので、その時はもう亡くなっているとは思いませんでした。

継母に「まるで生きてるみたいでしょ?」と言われた時にやっと、悲しい現実を理解しました。

父が最期を迎えてから、その時点で1時間以上が経過していたのです。

そして日付が替わった10月10日土曜日、0時15分に医師から死亡が宣告されました。

 

5月に初めて入院してからわずか5ヶ月。

背が高く、元々は体格もよかった父でしたが、あっという間に棒のように細くなり、体重は半分になっていました。

 

コロナ禍によって阻まれ面会できず、倒れてから一度も父と話せなかったのは残念でなりませんが、その最期が本当に穏やかで、眠るように逝ったという事を弟から聞き、最後は苦しみから解放されていた事を心から神様に感謝しました。

 

今はまだ深い悲しみと喪失感に打ちひしがれていますが、今回の事で、疎遠になりがちだった親戚や弟妹との絆を再確認し、強めることができたのは幸いです。

きっと自分が居なくなる事を心配した父が、皆を呼び寄せ、とりなしてくれたのでしょう。

 

父にはもう感謝しかありません。

父の方では、遺していく最愛の妻の事が気掛かりだと思いますが、私達子供4人が皆で継母を助けていくことを再確認しました。

 

最後に、今回私と父の事を気にかけてくださり、温かく優しい言葉をかけてくださった多くの方々に心から感謝しています。

本当にありがとうございました。